いつも底辺
8歳になったワタシに、理解不能なことがおこった。それが「両親の離婚」というもの。
それなりに悲しく、不便なこと、それがためにイヤだったことは沢山沢山あったに違いないが、それ以上に色んなことを経験し生きてきたら、すっかり影にかくれてしまった。
あの頃に味わった(はず)のあらゆることが、現在のワタシの礎となっていることもあるであろう!
ひとつずつ、影に隠してしまった手前の記憶を避けていく作業が必要なのかもしれない。
でもきっと、手前やら奥やらをブログで書いてるうちに、何かが結ばれていく爽快感にも出会えるかもしれない。そんなことを楽しみにしてたりもする。
不運が露呈して、哀しんだりするなよと、自分に少し言い聞かしておく。
振り返って記憶にある言葉に、父の教えがある。
「お前はいつも底辺にいると思え!(激おこ)」
これは、試験の前、受験の前にとことんまで刷り込まれたコトバ。
そもそも、何をしたって褒めてくれぬヒトで、片親育ち(父に育てられた)ゆえ、認めてくれるヒトが一人しかいない状況で、そのヒトが常に認めてくれないということがその後のワタシを狂わせてる気もしないでもない。
幼いワタシが部屋を片付けたよ♫と報告しても「当たり前(目も見ず)」。
テストで良い点とったよ♫「当たり前(目も見ず)」。なんなら「良い点?87点がか?…100点で当たり前。」。
そんなだから、やる気を失いました。
なんてことが通用するはずなく。
成績表に「2」がついた日にゃ、顔面ゆがむほどフルボッコ。
あぁ。書いていても可哀想になりますわい。
そして受験のたびに、
「お前レベルより上の奴は腐るほどおる。お前レベルより下の奴のほうが少ないんぢゃ!!お前は底辺やと思っとけ!!!(激おこ)」
という刷り込みが延々繰り返され、
父の願い通り、普通のレベルの高校や短大ですが、普通に合格し、普通に卒業しましたよ。
まるで東大でも受験したかのようですがね(苦笑)
普通〜〜〜のところでも、そこまで刷り込まれて挑むわけです。
今になれば、父だからこそ心配ゆえの言動なのだろうけれど、理解というより、それしか知り得ない環境下の子供というものにとっては、洗脳されるがまま。
その洗脳をといてはくれないものだから、どこで切り替えたらいいのかわからず。
ワタシは今日も
ワタシは底辺だと思っているのです。
でも今日はここから脱出!
ワタシは底辺ではない。
もうそういう考えを棄てていい!
はい。クシャクシャポイポイっと。(捨)